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マイク所長ブログ★スタッフ日記★

2019/09/29
【初めての二日間はとにかく泣けました】

こんにちは。YSこころのクリニック、

カウンセラーの金田です。

今回も私の体験をお伝えしたいと思います。

 

1ケ月待ちで、いよいよYSメソッドを受ける時が

きました。これを受けたら変れるのだろうか?

正直、不安もありました。

 

ヒーリングとか気功とか、本当にいろいろやりました。

ヒーリングでは多少、自分は元気になった気がしました。

でも娘たちは変化がなく、苦しい状況のままでした。

 

その後も、友人に誘われて教会に行ってみたり

仕事のお客様から、新興宗教の勧誘をうけたり

いろいろなお誘いがありましたが、どれもピンとは

きませんでした。

 

それが初めて直感で、これと感じるものがあった

YSメソッドです。とにかくわらをもすがる思いで、

これにかけてみようと思っていました。

 

初めての2日間はとにかく言われた通り、一生懸命

にやりました。でも初めてのことでもあり無我夢中で、

何がなんだかよくわからなかったというのが正直な

感想でした。

 

自分に自信がもてない私でしたから、ちゃんと書けた

だろうか?ちゃんとやれているのだろうか?

と受けながらも、心細く不安だった事を覚えています。

 

でもお金も払ったのだから、とにかくやるしかない、

そんな切羽詰まった思いもありました。

 

やってみた結果は、人生でこんなに泣いたことは

なかったというくらいに泣けました。たくさん泣いて、

目が腫れ上がるほどでした。今から思うと、

本当の自分に出会えた涙だったのでしょう。

 

その時は、自分ではどうして泣いているのか、まったく

わかりませんでした。

 

ただ、今までに体験したことがない感覚だったことも

確かでした。何がなんだかわからないまま、心は少し

すっきりした感じがして、普段、頭で考えている世界では

ないと感じました。

 

翌月も予約していた為、何をやっているのかわからない

まま、次の二日間も受けることになりました。

 

一番愛を感じる人は祖母でした。物心ついた頃から父母に

愛を感じた事がなく、愛の不足感を感じていましたが、

幸い祖母だけは、可愛がってもらった記憶がありました。

 

私は大家族に産まれた双子だった為、4才くらいまでは、

祖父と祖母が一人一人を担当し、世話をしてくれました。

姉は祖父、私は祖母と、忙しい両親に代わり世話をして

くれたのです。いつも優しい祖母でした。

 

何か悪いことをしても必ず、「この子はいい子だよ」と

かばってくれる全受容の祖母でした。いたずらをして母に

お仕置きされ、納戸に閉じ込められても、必ず祖母が助けに

きてくれました。「もう許してあげなさいよ」といつも

母をなだめてくれました。

 

いつもにこにこの笑顔で、怒った顔を見たことがない

やさしくのんびりとした人でした。

 

小さい頃は、祖母のひざが私の指定席でしたが、その祖母の

ひざの温もりは、時が何年たっても覚えていました。

 

そんな私をずっと愛してくれていた大好きなおばあちゃんは、

私が6才の頃、ぼけてしまいました。

家から出かけて行き、帰りは帰ってこられなくなりました。

よくトイレが間に合わず漏らし、母に叱られていました。

 

それを家族みんなでバカにするようになりました。

大事なおばあちゃんがぼけてしまい、変わっていくのが

悲しかったし、何より心細かったのだと思います。

 

でも、おばあちゃんをみんなでバカにするのが一番嫌でした。

「おばあちゃんをバカにするのをやめて」と何回も言いたかった

けれど、何回も言えなかった私。

 

あんなに可愛がってくれたおばあちゃんなのに、おばあちゃんを

守れなかった私。そんな自分をどうしても許せないでいました。

 

おばあちゃんは結局、認知症で老人病院に長年入院し、入院中、

病気で亡くなりました。亡くなった時は、それが実感出来ず

「おばあちゃん、おばあちゃん」と私が枕元でおばあちゃん

と呼び続けていたと父が教えてくれました。

 

でも、大好きなおばあちゃんが亡くなったのに、私はなぜか

泣けませんでした。どうして泣けなかったのでしょう。

 

きっと、この世で私を愛してくれた大切な人が、いなくなって

しまったショックが大きくて、まだおばあちゃんの死を

受け入れられなかったのだと思います。

 

そんなおばあちゃんとのあれこれを、本当に久しぶりに、

30年ぶりくらいに思い出しました。

 

おばあちゃんを守れなかった申し訳なさもありましたが、

どんな私でも愛してくれたおばあちゃんを思い出した瞬間、

「おばあちゃん、ごめんなさい」「おばあちゃん、ありがとう」

と号泣していました。

 

どんな私でも愛してくれたおばあちゃん、きっと天国からも

私を見守り、「そんなこといいよ」ときっと許してくれて

いるだろう、そう思えました。

 

後日、両親から聞いた話ですが、祖母は初婚で祖父と結婚、

自分は子供を産まず、先妻が病気で亡くなった後、残された

子供たち4人を育てたそうです。

 

そのうち3人は、子供のうちに病気で亡くなり、1人は戦争

から帰ってきてから、肋膜炎で亡くなりました。祖母は

誰にでも優しく穏やかで、そんなに大変な苦労があったとは、

全く感じられない愛の人でした。

 

祖母はいつも私を深く愛してくれていた、でも両親は私を

愛してくれない。親なのに、自分の子供を可愛がれないなんて、

なんてダメな人たちだろうと、私は心の中でいつも、父母を

責めていました。

 

そして、可愛がるどころか、自分の子供をひどい目にあわす

とは何事だろう?当時の私は虐待という言葉も知らず、

ずいぶん後になってから、この言葉を聞きました。

 

こんなに愛されないなんて、私だけは橋の下から拾われた

子供かもしれない。そんなことを真剣に考えていました。

 

母からはたくさんたたかれ怒られ、父からの「ダメな人間だ」

とにらまれ、言葉の暴力を受けた。鬼のような顔でいつも

怒っている両親と、親からの愛が感じられないできた私。

 

虐待されたのかもしれない。だとしたら生きているうちに、

この負の連鎖だけは、絶対、私の代で断ち切りたいと

ずっと思っていました。それが私の人生の目標になりました。

 

そのために、心の世界を探求し続けてきたのです。

でも、それがあっけなく達成される時がきました。

(続く)


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