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2020/02/14
寛解カルテ75-1 事業の大赤字で発症した、 14年間定期的に襲ってくるうつが解消! 人脈が広がり、感謝される毎日に!

事業の大赤字で発症した、

14年間定期的に襲ってくるうつが解消! 人脈が広がり、感謝される毎日に!

 

 

 

 

島谷謙介さん(仮名・61才)

 

 

 

 

今日から5回(パート1~5)に渡って詳細をお伝えしていきます。

 

 

 

パート1

 

 

 

【建築ブームがやってきた!】

 

私は、長野の山のなかにある村で生まれました。

 

 

 

幼少の頃、おとなしかった私は、よその人が来たら隠れるぐらいの引っ込み思案でした。

 

 

 

中学ぐらいになってからは、成績が比較的良くて、だんだん自信がついてきました。

 

 

 

でも、家がものすごい貧乏だったので、中学を卒業したらすぐ就職しようと思っていたのです。

 

 

 

しかし親は、「何とか高校まで行きなさい」と言ってくれました。

 

 

 

当時は日本中が高度成長期のなか、建築ブームで、いわゆる建築家という職業はエリートでしたから、私はそれに憧れて、高校の建築科を選びました。

 

 

 

 

私が埼玉のゼネコンに入社したのは、昭和45年、大阪万博の年です。

 

 

 

世の中は活気に溢れ、大きなものがどんどん作られていました。

 

 

 

新幹線も通っていき、高速道路もバンバンできていったのです。

 

 

 

入社後の私は、若手のなかでは一番の出世頭で、20代で大型プロジェクトの責任者を任されるようになりました。

 

 

 

ある総合病院のプロジェクトでは、2億円以上の利益を出したのです。

 

 

 

その頃は、初任給が26,000円ぐらいでした。

 

 

 

ですから、現代で言えば、2億円は1617億円くらいの価値があるでしょう。

 

 

 

それでまた、自分の評価に拍車がかかり、会社や周囲から認められるようになりました。

 

 

 

それに、世の中の動きにとても勢いがあったので、毎年2割ぐらい給料が上がっていくのです。

 

 

 

今では考えられませんが、新卒を採用するたびに、初任給は2割アップしていきました。

 

 

 

私が34才ぐらいの時のことです。

 

 

 

レース場のプロジェクトの責任者となったのですが、ちょうどその頃、バブル経済が始まりました。

 

 

 

それで何が起きたかというと、ものすごい勢いで人件費や物の値段が上がっていったのです。

 

 

 

プロジェクトは入札でしたから、予算は最初から決まっていました。

 

 

 

その後、どんどん人件費や物の値段が急騰していったので、プロジェクトはスタート前から、大赤字になってしまいました。

 

 

 

私はいつも利益をトップクラスで出していましたし、もちろん赤字など、それまで一度も出したことがありません。

 

 

 

赤字予想は、6億円の高額になっていました。

 

 

 

現在の金額に換算すれば、数十億円になるでしょう。

 

 

 

このプロジェクトは大きいだけに、工事施工の期間が長く、3年の工期がかかります。

 

 

 

それでも最後には、「大赤字を出した」という会社の評価が待っているのです。

 

 

 

それを承知の上で、何年もやらなくてはいけないのは、すごくつらいことでした。そして、ついに私はうつになってしまったのです。

 

 

 

明日のパート2【布団から起きられない】へつづきます。

 

 

お見逃しなく。

 

 

 

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