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2020/03/27
寛解カルテ81-4 医師から廃人同然の宣告を受けていた、うつ・人格障害を克服!

 

昨日のパート3からの続きです。

 

 

パート4

 

 

 

【生活保護を受ける】

 

 

一番病気が重く、判断力もないそんな状態の時、私はある男性と出会いました。

 

 

 

「一緒に暮らさなきゃだめだ」と言われて、一旦は「そうなのかな」と思って一緒に暮らしましたが、逃げて実家に戻ったり、連れ戻されたりを繰り返していました。

 

 

 

そうしているうちに、今の息子を身ごもったのですが、そのお蔭で私は自分の意思をしっかり持つことができました。

 

 

 

それからは自分で育てる覚悟で父親と別れて、未婚で育てたのです。

 

 

 

とは言ってもやっぱり病気ですから、実家の両親が住む家の近くの団地に部屋を借りて、子どもの面倒を見てもらいながら育てました。 

 

 

 

しかし母は他にも病気の子を抱えていましたので、経済的には頼れません。

 

 

 

そこで、生活保護を受けながらその子を育てることにしたのです。

 

 

 

3歳ぐらいまではそれで育てたのですが、子どもの将来を考えると、ずっと生活保護はまずいと思いました。

 

 

 

薬を飲み、病院にも通いながらでしたが、介護の資格を取った私は、子どもを保育園に預けて働き出したのです。

 

 

 

ところが保育園に預けた途端、子どもの様子がおかしくなっていきました。

 

 

 

私が怒ると、息子は床に頭を打ちつけるようになったのです。

 

 

 

最終的には、保育園に行くと悲鳴を上げるようになってしまいました。

 

 

 

すると私は息子がそういう状況になることが耐えられなくなり、だんだん仕事ができなくなってしまいました。

 

 

 

以前の母と同じように救急車で運ばれたりしたのですが、病院では意識が23日なくて、気がついたら病院で点滴を受けていました。

 

 

 

側には3歳の息子が不安そうに私を見ていました。

 

 

 

そのあと、結局私は仕事ができなくなって、もうだめだ、もう息子は育てられないと思いました。

 

 

 

私が育てたら、息子が自分と同じような人間になるかも知れないし、親に預けたらもっと悪くなると思ったのです。

 

 

 

それで、息子は施設に引き取ってもらったのです。

 

 

 

それからの私は、完全に抜け殻のようになりました。

 

 

 

その頃、外に出て行く所といえば、精神科の診察に行くだけだったのです。

 

 

 

YSメソッドのことを知ったのは、病院にあった雑誌を見た時でした。

 

 

 

実際には雑誌を見る気力すらありませんでしたが、なぜかその雑誌だけは気になったのです。

 

 

 

私はここなら何とかなるかも知れないと、電話を入れ受診することにしました。

 

 

 

明日のパート5【人に心を許せた!】へつづきます。

 

 

お見逃しなく。

 

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