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うつ病は90日で90%が治る 本当に治した人たち【驚きの体験談 カルテ2】うつが治るにはきっかけがあります
主な内容


うつ病は90日で90%が治る 本当に治した人たち【驚きの体験談 カルテ2】うつが治るにはきっかけがあります



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本当の自分を知る、究極の医療

うつ病が完治する画期的な治療法があった!

病をきっかけに完治どころか、
人生自体が好転、さらに
豊かで充実した人生を
手に入れた方の実例を紹介。

「心の再生」に注目した
これからの医療についても、
わかりやすく解説。

1.27年のSAD、うつ・自殺未遂から急快復!
2.解説 SADとうつが治り、大活躍が始まった理由
3.真我「心の再生」医療





「ありがとうございます」が言えない 

私は元々すごく緊張症で、内向的な子どもでした。20 才の頃、社会人になり、
オートバイ用品やウェア類を販売する仕事に就きました。

それから順調に仕事をこなしていましたが、2 ヵ月ほど経ったある日のこと、
電話に出たときに「ありがとうございます、○○会社の加藤です」と言うべきところが、
なぜか「あり……」と言ったまま止まってしまいました。

続きの「……がとうございます」を言おうとしても、どうしても出てこないのです。
絶対に「ありがとうございます」と言わなくては。

そう思った私は、電話口でずっと「あり……」「あり……」「あり……」と繰り返していました。
受話器の向こうで、通話相手の女性がケタケタ笑っているのが聞こえ、
恥ずかしくて辛くなりました。

この体験の後、電話に出るのが怖くなった私は、
電話のベルが鳴るたびにドキッとして恐怖を感じ、
近づきたくないと思うようになっていきました。

そうしているうちに、お店へいらっしゃったお客様にも
「ありがとうございます」が言えなくなっていきました。
それだけでも悩んでいたのですが、さらには「いらっしゃいませ」も
「いら……」「いら……」「いら……」と、言葉が出なくなってきたのです。

ある日、親しい友人が彼女を連れてお店に来てくれました。
私は格好いいところを見せようと張りきったのですが、
やはり「ありがとうございます」が言えなくて、

「あり……」「あり……」「あり……」と言ってしまいました。

友人は「お前、何言ってんねん」と茶化しましたが、
私としてはすごく恥ずかしくて、ますます「ありがとうございます」が言えなくなっていき、
先輩にもそれを指摘され、怒られるようになりました。

そのうち店で働くこと自体がすごく辛くなり、仕事を辞めてしまいました。

接客業がだめならということで、
私はケーキ職人の世界に入りました。
勤務先は百貨店で、食品フロアのブースのなかで、
ケーキ作りの実演販売をすることになりました。

直属の上司はすごくいい人でしたが、まだ新米の私にすべてを任せ、
営業時間中はどこかに行ってしまっていました。

確かに、お客様と直接会話することは減ったのですが、
新人でありながらお客様の前でケーキを作るのはすごく苦痛で、緊張してしまいました。

慣れない手つきでやっていますからお客様に笑われてしまったり、
時には「何やってんの、この人」などという声が聞こえてくることもありました。
それで今度は、体に変調が表れて、仕事が手につかないようになってしまいました。

これ以上は続けられないと思った私は、
何かしら理由をつけて、この仕事も辞めてしまいました。
藁にもすがる思いで、精神科を受診 また仕事を探して、私が就いたのは、
なぜか接客の仕事でした。某有名ファーストフード店なのですが、
今度は「ありがとうございます」といった言葉はマニュアル化されていて、

きちんと言わなくてはいけなくなってしまいました。

最初は何とか乗り切っていたのですが、そのうち誤魔化しが効かなくなっていきました。
さらには「少々お待ちください」「お待たせしました」といった言葉も言えなくなり、
電話に出るのも苦しく、接客業務に支障をきたすようになったのです。

それですごく辛くなって、この仕事も続けることができなくなりました。
どうすればいいか悩んだ私は、思い切って独立することにしました。
独立すれば、言えない言葉を避けながら仕事ができる。

そうすれば、こんなに苦しまず、楽に生きられると思いました。
借金までしてお弁当の店を開いたのですが、結局はうまくいかず、
3 ヵ月でお店を閉めてしまいました。

この時期、私は妻と婚約していました。
年を追うごとに「ありがとうございました」が言いづらくなっていましたが、
恥ずかしさもあり、それを妻に話したことはありませんでした。

結婚するためには早急に借金を返す必要があったので、
すぐに某有名コーヒーチェーン店に再就職しました。
しかし、ここで大きな誤算があったのです。

この会社では、私があれだけ苦手とする言葉の数々を、
イントネーションまで決めてあったのです。

これまで何とか言葉を誤魔化していた身としては、イントネーションを強制されたことで、
自分を追い込んでしまいました。

どんどん自信を失い、ネガティブになっていってしまったのです。
さすがにこれではいけないと思い、藁にもすがる思いで精神科医を受診しました。

精神科の先生からは「なぜそうなるのか、分からない」と診断されました。
「気持ちの問題」と言われて、そのまま生活を続けることにしたのですが、
やはり接客業をしていく上で

「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」

が言えないというのは苦痛でした。
さらに自分が店長になり、指導する立場になったとき、
それが自信をなくしていく要因になってしまいました。

自分が普通にしゃべっている言葉も、自分ではないような感じになりました。
それが周囲にも伝わってしまうのか、
アルバイトさんから舐められるようになってしまい、さらに自分を追い込んで、
逃げるように辞めてしまいました。

気付けば、また転職することになったのです。
クレーム対応が、けんかに発展 次に勤めた店舗は規模が大きく、
最初の頃は隅の方で仕事をしていれば良かったのですが、
やがて店長になり、店内放送をしなくてはいけない立場になりました。

店内にいる全員に聞かれるという恥ずかしさが強く、
実際に何回か言葉が出てこない時がありました。
失敗すると、やる気がどんどん無くなっていくのが分かりました。

店内や電話口で「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」がうまく言えなかった時は、
自分の首が締まり、呼吸ができないような感じなります。
無理矢理絞り出さなければ、声も出ない状態でした。
そうなるとすごい自己嫌悪に陥って、一日中仕事が手につかなくなってしまいました。

本当にこれはおかしいと思った私は、また違う精神科医にかかることにしました。
なぜ言葉が出ないのか原因は不明でしたが、その医者から、精神安定剤が出されました。
薬を飲み始めても全く効かなかったので、それを医者に伝えたところ、
投薬量が増えました。

増えれば増えるほど、どんどん体がおかしくなるような感じがしましたが、
でも薬を飲むしかないのかなと思い、薬を飲み続けていました。

その頃になると、常にボーっとしていて、やる気が全くなくなり、
性格がすごく攻撃的になりました。

ちょっとしたことでカッとなり、道端のガードマンを怒鳴りつけたこともあります。
自分のことがうまく言えず、言葉に自信が無い分、キレたような言い方になり、
家庭では妻を傷つけました。

妻とは価値観が正反対で、しょっちゅうけんかをしていました。
妻のやることなすことが、認められませんでした。

今思えば、私自身が長年、妻に症状を隠していたからかも知れませんが、
肚を割って話すこともありませんでした。

お店では、相変わらず辛い日々が続いていました。
店内に出てお客様と会話するのが辛く、店内に出るのは最低限にして、
できる限り倉庫で作業をするような毎日でした。そんなある日、
お客様からお店にクレームが入りました。

私が対応したのですが、言葉でうまく伝えられず、
そのもどかしさもあり、怒りがだんだんエスカレートしていきました。

ついには、店内でつかみ合いのけんかになってしまい、
警備員が止めに来るような騒動になってしまいました。
ふと我に返った私は、激しく落ち込みました。

自分は店長なのに、従業員やお客様のいる前で、
なんてことをしてしまったんだろうと思いました。

その日の帰り道は、ものすごい自己嫌悪に襲われました。

家に帰る道すがら、私は、生きている価値を見出せなくなり、
刹那的に「もうどうでもええわ」という気持ちになりました。

こんなにしんどいのは、もう嫌でした。そして帰宅後、
自分の腕を刃物で切りつけたのです。

軽く切ったら、すぐに血が止まってしまったので、
何回も何回も腕を傷つけました。
もう本当に、何も考えずに切りつけている感じでした。

幸いなことに、翌日の明け方に妻が気付いてくれて、
私は病院に運ばれました。

その時、初めて医師から「あなたは、うつです」と告げられました。
これまで、自分がうつだったとは全く思っていませんでした。
医師からは 1 ヵ月休職するように言われたのですが、1 ヵ月後の医師の診断は、
職場への復帰は難しいということでした。

あらゆる療法を試す 

しばらく仕事ができないと分かり、私はさらに落ち込みました。
それからは本当に身動きがとれなくなり、一日中寝込んでいる状態でした。
数ヵ月後、私を心配して親友が訪ねてきてくれました。

その時、私はもう前の仕事に戻れないかも知れないと思っていたので、
独立してまたひとりでやっていこうかと、その親友に相談したのです。
すると、親友は「お前には無理や」と言いました。
後から考えれば、それはおそらく「今のお前には無理」という意味だったと思います。
しかしその時の私は、全人格を否定されたような気持ちになってしまいました。

そして親友が帰ったその日の晩に、また腕を切ったのです。
今回は周到に準備をしたので、生死の境目をさ迷うくらいの状態になりましたが、
またもや妻に発見されて、病院に運ばれました。
それからの私はもう、生きる屍みたいになってしまいました。

朝は起きられず、 一日中布団のなかにいるような状態で、
もうボロボロな感じでした。
妻は、私がこんなに迷惑をかけたのに、懸命に支えてくれていました。

それから半年以上経ったある日、たまたま精神科に行く日を間違えてしまい、
手元にあった薬を切らしてしまいました。

その日は実家に行っていたのですが、突然、激しく全身が痺れ始めました。
物がちょっと触れただけで、体中に電気が走るような感覚があり、
さらには目のなかで、眩しい光がチカチカしたのです。

足にも力が入らず、まともに立っていられなくなった私は、
すぐ近くの医者に連れていかれました。

結局原因は分かりませんでしたが、薬が切れたお蔭で、
ずっとボーッとしていた頭が、正気に戻った気がしました。
もしかしたら、私はすごく恐ろしい薬を飲んでいたのではないか? 
薬のせいで、うつになったんじゃないかと思ったのです。

それから私は、心の病について調べ始めました。
自律神経訓練法など、効くといわれる療法なら、
なんでも試し始めました。NLP(神経言語プログラミング)などを取り入れた時、
何となく体が動き始めたと感じ、さらにヒプノセラピーや催眠療法、
タッピングなども試してみました。

うつに関しては、少しずつ改善している手応えがありましたが、
人生を歪ませた根本の原因である「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」が言えな
いというのは、治すことができませんでした。

調べていくうちに、この症状は、ある特定の場面で極度に緊張感を催し、
社会生活に支障をきたすものだと分かりました。

それをSAD(社会不安障害)というのですが、
この症状がある限り、またうつになる予感がしました。
一生隠し通すわけにはいかないですし、本当にこれを改善して、
活き活きと生きたい。そう思いました。

素晴らしいカウンセラーとの出会い 休職して 1 年半後、
医師から復職の許可が出ました。会社の上司からは転職を勧められましたが、
残りたいという意志で元の会社に戻りました。

その後、働いているなかで、私としてはうつがずいぶん治ってきている実感がありましたが、
会社からは「君に出世の道はないからね」と宣告を受けていました。

結局、この会社には復職後 4 年半勤めましたが、
このままこの会社に居続けるわけにもいかず、転職を決意しました。

私が次にやろうと思った仕事は、営業でした。
今から思えば無茶だったのかも知れませんが、営業をすることで自分が磨かれ、
心の弱い部分を鍛えられるのではないかと思ったのです。

転職先は車のディーラーでしたが、営業ではなく、総務として採用されました。
まずは希望の職種ではありませんでしたが、総務であっても販売支援で店舗に出ることが多く、
電話応対もありますから、やはり心の辛い部分が出てくることがありました。

そうしたなか、素晴らしいカウンセラーの先生との出会いがありました。
その先生は、カウンセラーを始めたばかりということで、
無料モニターを募集されていたのです。

何を言ってもすべて受け入れてくれる感じの先生で、
安心感を持ってお話することができました。
温かい愛に溢れ、包み込んでくれ、自分の全てを認めてくれる方だったのです。

私はその先生に向かって、罵詈雑言を吐いてしまうこともありましたが、
それすらも認めてくれました。

相談したことに対して「やっていることに間違いはないですよ」と、
無条件ですべてを認めてくださったのです。

それに、たまに頂くアドバイスも的確でした。
「今からお父さん、お母さんにありがとうを伝えてみませんか」
「瞑想するといいですよ」など、その時に必要なことをタイミング良く教えていただけました。

この先生と話をするだけで、自信が湧き、癒され、
本当に心が洗われるようでした。
すると会社では、電話に出るのが楽になってきました。
その頃は、まだまだ「ありがとうございます」
が言えないことが結構あったのですが、それでも、
言えなくても別にいいや、という風に思えました。

言えないことは、別に悪いことではない。
それでも何とか電話に出て、懸命に「ありがとうございます」
を言おうとする自分を認めることができた……。

それを感じられたのがとても不思議でした。
その先生のカウンセリングを受け始めて 1 年くらい経ったとき、
たまたま購読していたメンタル系のメールマガジンで、
YSメソッドの存在を知りました。

偶然にも、私が休みの日の平日に、
無料の説明会があるということでした。
これも、もしかしたら自分に役立つかもしれないと思った私は、
説明会に参加しました。

しかしその説明会は、正直なところ私がすでに知っていた知識が中心で、
あまり意味がないものに感じました。

言葉は違いますが、心の仕組みについてなど、
例のカウンセラーの先生がいつも話されていることと、同じだったのです。

その話をカウンセラーの先生にしたところ、驚くべき答えが返ってきました。
YSメソッドに否定的な意見を述べた私に対して、
カウンセラーの方は、私を諭すように、こう言ったのです。

「加藤さん、実は私も、YSメソッドで救われたんだよ」と。
詳しく話を聞くと、カウンセラーの先生が経験してきた人生は、
壮絶そのものでした。

二度も自殺しようとした私の人生よりも、凄まじいものがありました。

「加藤さん、僕はあなたのカウンセリングを始めた時に、
あなたはいずれYSメソッドに出会うだろうと、何となく分かっていたんだ。
でも、加藤さんの性格からすると、出会ったときに、
すごく拒否反応を示すのは分かっていた。
だから、出会ったその時に、背中を押してあげようと、
ずっと見守っていたんだ」

と仰いました。

それを聞いた私は、本来 1 カ月の無料モニターだったはずなのに 1 年間も、
何も言わず待っていて下さったことに、とても感動しました。

そして、これは本当にYSメソッドに行かなければいけない、そう思ったのです。

SAD が、治った! 

YSメソッドの受診は、
本当の自分である「生命意識」を体感するもので、
それは二日間に亘りました。

その二日間で、私は今まで体験したことがないよ
うな、本当に心が洗われるような体験をしました。
YSメソッドでは、何種類かのワークを行い、
カウンセラーと会話していくのですが、本当の自分を自覚することで、
今までのトラウマがすべて消えていくような、
すべてから解放されたような体感があったのです。

私は、自分でも気付かないうちに、
ドロドロした感情を抑え込んでいたのだと分かりました。
その時は、母への想いを掘り起こすようにワークをしていました。

すると、本当に感謝の気持ちが止まらなくなって、
一人になってからも一晩中泣いていました。

蓋がはずれ、愛が溢れると、こんなにも気持ちがいいのかと、
初めて知りました。
あれほど苦しんだ「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」が言えなかった状況など、
本当は無かったんじゃないかと思えるくらいでした。

そして次の日、会社に出勤した時のことです。
机の上の電話が鳴りましたが、何とも思わなくなっている自分がいました。

これまでは、電話のベルの音を聞くだけで、
心臓がドキドキしていたのです。
電話に出られるかも知れないと思い、受話器を取りました。

すると、普通に「ありがとうございます」が言えたのです。

私は、これで治ったと確信しました。
今までどんなことをやっても治らなかった言葉の症状が、
たった二日の受診で完全に治ったんです。

そのことに、すごく驚きました。
うつになり、自殺未遂までするくらい悩んでいたのですから、
自分でも信じられませんでした。

その後の私はもう、電話で「ありがとうございます」
が言えないことは無くなり、うつ再発の不安も消し飛びました。

気がつけば、「ありがとうございます」が言えなくなってから、
27 年の月日が経っていました。

それは本当に良かったのですが、
だんだんと問題も起こっていました。

これまで心を押し込めていた反動だと思うのですが、
家庭でも会社でも、相手の気持ちを考えないで、感情が溢れだすまま、
抑え込むことなく、言いたいことを言うようになってしまったのです。

自分にとってそれは、気持ちのいい状態でした。
しかし、相手はたまらなかったでしょう。

妻とは家庭内別居状態になり、子どもには感情のまま当たり散らし、
会社では社長と意見が対立して、険悪な関係になってしまいました。
YSメソッドを受けた時は、あれほど親に感謝できたのに、
近くの人間関係がこじれてしまうのは、何かがおかしいと思いました。

あの全てを受け入れ、認めてくれたカウンセラーの先生に、

初めて

「君は大いに勘違いをしている。そんなことのために、
YSメソッドの治療を受けたんじゃないだろ!」

と、真剣に怒られた瞬間でもありました。

このまま行けば、自分は本当に嫌なやつになってしまう。
そう感じた私は、再びYSメソッドを受診することにしました。

その時、YSメソッドのカウンセラーに指摘されたのは、
私の隠れた感情についてでした。

「加藤さん、自分自身では気付いていらっしゃらないですが、
あなたはずいぶんお母さんとのわだかまりがありますね。
これからは、お母さんの悪口を紙に書いてください」

と言われたのです。
それからしばらく、
ずっと悪口を書いていたのですが、不思議なことに母への悪口が、
いつの間にか自分が求めていた愛だと感じてきたのです。
すると、母への感謝が湧いてきて、涙が止まらなくなりました。

溢れる感謝 

その後、落ち着いた私は、野菜ジュースとツナのサンドイッチを口にしました。
まずは野菜ジュースを飲んだのですが、ひと口飲んだ時、ものすごいことが起こりました。

これほどおいしいものを口にしたことがない! というくらいおいしい野菜ジュースで、
感動した私は涙が止まらなくなったのです。

こんなにおいしい野菜ジュースを作るために、
農家の方が丹精込めて、野菜と果物を育ててくださったんだ。

そう思うと、さらに涙がとめどなく流れてきました。

野菜ジュースを作ったメーカーさんが無ければ、私の手元には来ていないですし、
パッケージが作られ、配送し、販売する人たちもいます。

その事実はものすごい衝撃で、本当に泣けました。
自分は、今までひとりで生きてきたと思っていました。

しかし、そうではなかったのです。私は全く勘違いしていたのです。
たかが野菜ジュースかも知れませんが、どれだけたくさんの人に自分は支えられ、
生きてきたのか。

そう思うと、ますます涙が止まらなくなりました。
サンドイッチも、びっくりするほどおいしかったです。
このツナサンドにしても、朝早くからパンを焼いてくださった人や、
海でマグロを獲ってくれた漁師さんがいてくれたからこそ、
食べることができることに気付かされました。

私は、当たり前のように生きてきましたが、当たり前ではなかったのです。
本当に、今自分が生きているのは、奇跡なのだと思いました。

すると、両親への感謝が思い浮かんできました。その心のまま、
お爺ちゃん、お婆ちゃん、さらにはその両親、そしてご先祖様へと、
生命の繋がりを逆にたどっていきました。

突然〝命のバトン〟という言葉が、頭に浮かびました。
今まで生きてきて、一度も考えたこともない言葉が出てきたので驚きましたが、
誰ひとりとして命のバトンを落とさずにいてくれたから、
今自分がここにいるんだと、そう思えました。

私のイメージは、さらに過去へと繋がっていきました。
人間が人間に進化する前の哺乳類になり、さらには両生類になり、魚になり……。
ふと気がついたら、自分が暖かい海のなかにいました。

上からは太陽の光がキラキラと降り注ぎ、
まるで母のお腹のなかにいるような、そんな感覚です。
その時、私は心のなかで「あっ!」と声を上げました。
自分は命としてひとつだったということと、地球から生まれた、
地球としてひとつなんだということに気がついたのです。

命と地球は、ひとつでした。命はひとつ、皆他人ではないんだ、
皆に支えられて生きてるんだと、さらに感謝の気持ちが湧いていきました。

執着を捨て、さらに快調に 

受診を終えた帰り道では、周りの人が他人とは思えず、すれ違う人全員に、
ありがとう、ありがとうという気持ちが出てきました。

帰宅して妻の顔を見たとき、私は妻への接し方を、根本から変えなくてはいけないと思いました。
まずは、妻に対する感謝の気持ちを綴った紙を渡しました。

その行動は気味悪るがられて、受け入れてはもらえませんでした。
しかし、妻の態度はすぐに変化していきました。

それまでは食事も別々だったのが、同じテーブルで食事してくれるようになり、
買い物なども一緒に行ってくれるようになったのです。
私には、本当の意味で、生命意識という命に対する確信が生まれていました。

これまでは、感謝が足りなかったのです。
ありがとう、と思ってはいても、心の底からの、本当の感謝ではなかったのでしょう。
だから「ありがとうございます」の言葉が出なかったのだと感じました。

また、「ありがとうございます」が言えないという現象に、
自分自身が執着していたことにも気付かされました。

その現象を、例えば転職する時の言い訳にしていた可能性もあります。
確かにこれまで、言葉が出ないのが辛くて転職してきたのですが、
逆から見れば、だから辞められたのだとも言えます。

ある意味、病気をうまい具合に使っていたのかも知れません。
病の時には気付けませんでしたが、それに気付いた瞬間、
執着を捨てることができました。

すると、自分の心と体が繋がったような気がして、
生まれ変わったような感覚になり、さらに快調になっていきました。

その後、私は縁あって出版社へと転職しました。
ある意味、出版社はお客様の人生にかかわる情報を、
商品として扱っているとも言えます。

私は生命意識を自覚したことで、本当にいい商品とは何か、
命の価値を高める商品とは何かを見極める目が養われました。

その視点で、本当にお客様にとって必要な商品を自ら会社へ提案して、
それが実際に映像ソフトとして発売されるまでになりました。

これからは、その商品が足がかりとなって、
新規ビジネスも立ち上がっていきます。

ずっと遠回りして、壁にぶつかり、
自分ではない生き方をしてきました。
それは苦しかったですが、病気が治ったことはもちろん、
今は生きる道が明確に分かっているのが本当に嬉しいです。

仕事を通じ、周りの人を笑顔にして、光輝かせて幸せにしていくのが、
自分の役割です。そう思えて、実行している私自身が、幸せでしょうがないのです。

本当の自分である生命意識は、愛そのものです。
私は、生命意識を自覚することで、
第二の人生をもらったと思っています。

その意味で、YSメソッドは、命をくれた母親です。

これまでご縁を頂いた家族、
会社の方々、お客様などすべての方々に、

「ありがとうございます」と心からの感謝を込めて、

毎日を送っています。



※本書をお求めの方にのみ特典をご用意いたしました。
 詳細は巻末をご覧ください。



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